最初にFXに出会ったきっかけは何か副収入が得たい、子供たちの為にいつも一緒に居て上げれて娘たちが将来の夢や進路を経済的な理由で断念させることがない様豊かになりたい、裕福になりたい、そう思った事がきっかけだった
私は、シングルマザーで頼りの母も亡くしこれから2人の娘たちを抱えどう生きていけばいいのか分からず途方に暮れていた。
周りの友達はみな夫が役職ついたり家を建てたりと田舎なので土地持ちで親、親戚頼れる存在に恵まれていて、私にはどれ1つ何もない、ないない尽くしの惨めな状態だった。とりあえず仕事探さなきゃと求人を見るが面接に行ってもどこも断られた。「あなたに問題はないが小さな子供さん抱えて、病気の時は誰が見てくれますか?」
だって私にはだれも居ないから仕方ないじゃん…と泣くしかなかった。
とにかく自分の手に職を付けなきゃと思いついたのが、たまたま「看護師への道」
さっそく病院に就職してヘルパーとして働きながら学校へ通わせて頂き子供たちを2人で留守番させて当直もやる。
その当時のお給料は8万円だった。奨学金6万、福祉からの児童手当が6万位だった。なんとか20万。でも不安で仕方ない毎日。近所の新聞配達店へ行って働かせてもらうことにして月4.5万。
そうして学校、仕事、勉強、母親の4足の草鞋をはいた生活が始まった。
そうして5年後無事に免許がとれ看護師になったが思っていた程のお給料は貰えなかった。
当時インターネットで稼ぐというのが騒がれていて私も何か副業できないか、と考えた時今の状況ではどこかに行って稼ぐことはできず家に居て時間も縛られないFXで稼ぐことができたなら?
しかも上限のない世界!
当時昼夜開校の大学にも通っていたのでほんと寝る間がない程働き、勉強して勤務中歩きながら寝てしまうような状態だった。
しかしなかなか上手くいかず株、先物、オプション、不動産など手を出し必死で勉強したが芽が出ず、一時的にはうまくいくが、相場が変わると途端にうまくいかなくなる。
何が原因か分からず、ようやく取引対象を変えても同じ、FX一本に!
そうこうしている内に子供たちの為に始めたFXだったが、子供たちはいつの間にか大きくなり立派に成長してくれて自分たちの家庭をそれぞれに持ち私は自分の生活を維持すればよい状態になってしまっていた。
ママが不甲斐ないばかりに、子供達にはほんと寂しい思いや貧困とまではいかなくても決して裕福ではない生活を強いられた状態で大切な成長期を過ごす環境しか与えられなかった事は、私の人生最大の恥ずべき事だと今でも後悔しかない。
当時を思い出すと生きるのに必死過ぎて子供たちに何もしてあげられなかった事しか思い出さなくて涙が溢れてくる。
しかし、悔やんでも取返しはつかないので、今私が家族にできる事
1.自分のこれから直ぐに訪れる老後の生活を誰にも迷惑掛けることなく自分の力で最後まで幕を閉じる事
2子供たちは私の援助など必要としていないが、私は子供たちにできなかった事を孫に援助したい。孫たちが大切な進路を決める時。夢に向かって進もうとする時に惜しみなく充分過ぎる経済的な援助を行いたい。
そう決意をもって今日も日々切磋琢磨取り組んでいる。
今願うことは、「この夢を叶えるためにどうかいつまでも私が健康で認知症にならずに健全な脳を保ち続けていたい」日々そう思いながら生きている。
成績の安定しない不安定な状態はもう卒業しよう!
これからは、尚いっそう励み相場と向き合い真摯に取り組んでいく。
最後にベッドの中で家族に見守られながら「ありがとう、いい人生だった」とお礼を言ってそれぞれにたくさんのお金を残して旅立ちたい。
それが、私の人生の幕の閉じ方。
その為に今私は宣言する!
「娘、孫たちの将来の為に何かあったときの為にしっかりサポートできる孫の将来の為に経済的な壁を取り払って選択肢を広げられるばあばで居たい!そのために規律正しい勝ちトレーダーになる」

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